20141024透明マントを求めて 雨宮智宏

透明マントを求めて
天狗の隠れ家からメタマテリアルまで
2014.6.30 第1刷
「透明人間になってみたい。」誰しも一度は考えたことがあるはずだ。その証拠に、被ることで透明になることのできる『透明マント』が、古今東西様々な時代の文献に登場する。その、長らく実現されることのなかった夢の技術に、今、手が届こうとしている……。

*
第3章 ソ連からの提案 共産主義における科学技術
p94
「現在の透明マントの系譜は、どこから始まっているの?」
「難しい質問だけど、おそらく旧ソ連からだね」
「ソ連……今のロシアのことだね」

 モスクワ物理工科大学のベセラゴ教授は1967年当時、画期的な1本の論文を発表する。「負の屈折率における光の挙動」と題された論文は、現在の研究の基礎となる最も重要な部分を論じている。しかし、当時はその理論を実証する科学技術レベルに達しておらず、全く見向きもされないという不遇の扱いを受けてしまう。ベセラゴが研究を行った当時、時代は冷戦の真っ只中であり、彼の出身国であるウクライナがソ連の一部であったことも注目を浴びなかった理由の一つである。以来、結局40年の時を経て、ついに光が当たることになるのだが……。

第5章 ついに完成する透明マント
p184
「いよいよ現代における透明マントの登場だね」
「さまざまな科学者たちの努力の先に、この透明マントの理論があるんだよ」
「長い旅路の末にようやくゴールにたどり着いたんだね」

 2006年、アメリカのサイエンス誌に透明マントに関する論文が2つ掲載された。その中心にいたのは、ロンドン大学インペリアルカレッジのジョン・ペンドリー教授。サーの称号を持つイギリスの光学分野の重鎮である。(略)論文の内容は、ある特殊な材料を用いて、水が大きな岩を避けて流れるのと同じように光を操作することにより、物体を透明化できるというものであった。そのわずか5カ月後、それらの理論をもとにして実際に透明装置が実現される。

負の屈折率を持つ物質
p194
 1969年にケンブリッジ大学を卒業してから、デアズベリー研究所の理論グループのヘッドを務めていたペンドリーは、すでに世界にその名を知られる存在となっていた。(略)彼には、ずっと抱き続けた夢があった。若き日に読んだベセラゴの論文、その中で言及されている「負の屈折率」をこの手で実現したい。
 そう、彼はベセラゴのファンの一人だったのだ。

p195
屈折率n=誘電率×透磁率、である。(略)
 今までは分かりやすさを重視するために空間に張られた網が1枚であるかのように説明してきたが、実はこの網は二重構造になっている。
光は別名「電磁波」とも呼ばれるが、これは電場と磁場が交互に混じり合って伝搬していくという意味を含んでいる。
電場とは電気が作用する空間であり、磁場とは磁気が作用する空間のことをいう。(略)「電場の網の揺れやすさ」を表したものが誘電率であり、「磁場の網の揺れやすさ」を表したものが透磁率である。(略)
p199
(略)要するに、誘電率の値は物質によって変わりうるが、透磁率の値は真空中と同じくずっと1のままということだ。

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