20140428法然「別冊太陽」(1~4)


法然―宗祖法然上人八百年大遠忌記念 (別冊太陽 日本のこころ 178)
出版社: 平凡社 (2011/1/24)

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Ⅰ 仏の子 勢至丸誕生
Ⅱ 真の仏の道を求めて
Ⅲ 専修念仏に帰す
Ⅳ 「浄土宗」を立つ

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p26
法然の生涯とその思想

Ⅰ 仏の子 勢至丸誕生
末法の世
 平安時代貴族のあいだには末法の世の到来が恐れられていた。藤原頼道が天喜元年(一〇五三)宇治に平等院鳳凰堂を建立したのは、末法の到来を恐れるあまり、来世への憧憬から極楽世界をこの世に具現しようとしたものであるといわれている。
 法然が生きた時代は、まさに・平治の乱、源平の争乱を経て北条氏による執権政治の確立期まで、藤原氏一族による摂関政治、院政などによる行き詰まりを脱し、源氏、北条氏という武家による政治体制へと移行していく狭間にあった。(略)法然の主唱した専修念仏の教えは(略)公家衆・武士達にとってはわかりやすく、受容されるのに多くの時間を要しなかった。

法然幼少の事件・出家

比叡登山
 
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Ⅱ 真の仏の道を求めて

p37
叡空と法然
 叡山西塔黒谷は谷深く静謐な地にあって、名誉や地位を求める叡山の中枢から離れ、自由な宗教的思索のもとに求道生活を送る聖たちが住むところ(別所)であった。
 法然の師となった叡空は、一説に太政大臣藤原伊通の子とも伝えられるが定かではない。『往生要集』などの講義で学名高く、良忍より受け継いだ大乗戒律(円頓戒)で黒谷派の祖とされている。無役ながら公家方の尊崇篤く、多くの公家に対し授戒の師となった。
 ひたすらに修学の日を重ねた法然は、多くの疑問を師に問い、師弟どちらも自説を曲げず論争になることも多かった。木枕を投げつけるほどに激昂した叡空が、しかし自室に戻ったのち、法然のもとに足を運び「よく考えてみるとあなたの説の方が正しい」と弟子に対し率直に非を認めたといわれ、自由で器の大きな叡空の人柄がしのばれる。のちに叡空は法然に財産のすべてを譲っている。

p43
源信と『往生要集』
小村正孝
(略)
 法然の思想形成に大きな影響を与えたことは、若い頃、この書について重ねて講義し、その講義録が四作も伝え残されている点からもわかる。そして、称名より観想の念仏を重視した源信を一つのステップとして、称名念仏こそ阿弥陀仏の真意とする立場へと昇華していくのである。
(こむらしょうこう/浄土宗無量寿寺副住職)

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Ⅲ 専修念仏に帰す

p52
法然が「専修念仏を修行する人は皆極楽に往生できるのでしょうか」と問うたところ、その答えをまだ聴かないうちにたちまちに目が覚めてしまったという。

※つまり往生はハッキリしていなかった。

p53
下山、遊蓮坊円照との出会い
 (一一七五年)法然は回心の境地を得たのち、西塔黒谷を離れ京都の市中に下山した。その目的が専修念仏の弘通(ぐづう)のためであったのか、自己の天台宗との訣別という精神的な区切りによるものであったのか、あるいはまた他に理由があったのであろうか。
 はじめは西山(にしやま)の広谷(ひろだに)、現在の粟生(あおう)光明寺の後方辺りを住まいとした。ここには藤原通憲(みちのり)の子遊蓮坊円照がいた。恐らくは葉室流藤原氏と関係のある法蓮坊信空を介して円照の存在を知ったものと想定される。信空の弟子の信瑞(しんずい)編の『明義進行集』の記事などによると、円照は当時「三昧発得の証」を得た者といわれていた。
 法然はこの円照が治承元(一一七七)年往生(死亡)の時の善知識(善き導き手)となっている。

※往生決定しているのに何故導き手が要る?

p53
比叡下山から二年後であるから二人の交流は短い間であったことになるが、法然にとって円照の存在は、「三昧発得の証」を得た者(どうしido)として畏敬の念を抱かせたに違いない。善導を師とするのは「三昧発得之人」であることによるとする程であるから、法然にとって三昧発得の証を得た者に会うことの意義は、極めて大切であったものと考えられる。したがって、比叡下山当初の目的はこの円照に会うためであり、回心の境地(=三昧発得の証を得た、ではないのか?ido)にあった法然にとっては、より一層専修の確信を得ようとした行動であったと解されるわけである。

東山・吉水に草庵を開く
円照と死別した法然は、広谷で住んでいた房舎の移転と併せて、東山吉水の地に移住した。吉水の地は当時は青蓮院の所領であったことを考えると、比叡山時代の人脈のなかでこの地が提供されたものと推測するのが妥当であると思われる。吉水では「吉水中房」と呼ばれたこの広谷から移転した房舎と、「吉水東新房」、「吉水西旧房」とから成り、中房は法然の庵室として現在の知恩院御影堂の地にあった。東新房は今の大鐘楼の東北の辺り、西旧房は山門の西南の辺りにあったようである。
 他にも白河の禅房、賀茂の河原屋(賀茂神社の神宮寺)、小松殿(九条兼実の別邸、今の東山五条あたり)、嵯峨二尊院等に住んだこともあるが、主としてこの吉水の草庵を布教の根拠地とし、後に弟子たちとの共同生活の場となっていった。

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Ⅳ 「浄土宗」を立つ

p62
三昧発得の宗教体験
 さて、法然は『選択集』を執筆していた頃、すなわち建久九年の春にも病気がちとなり、四月には遺書ともいえる『没後遺誡文(もつごゆいかいもん)』をしたためたほどである。いかに困難な状況の中で『選択集』が執筆されたのかがうかがえるのであるが、実はこの時期、もう一つ重要な出来事があった。それが「三昧発得」の体験である。

※この時まで信心決定の体験がなかった。ならば親鸞・蓮如の言う信心獲得あるいは信心決定というハッキリした超絶体験は、少なくとも法然の『観経疏』体験とは異なる。または、三昧発得は二次超絶体験か。

「三昧発得」とは、念仏などを一心に修している中で、極楽や阿弥陀仏が目の前に現れるという、高次の宗教体験のことをいう。
 法然が最初にこの三昧発得を経験したのは建久九年の正月一日より七日間の別時念仏(日数を限って念仏行を修すこと)の最中であった。その後二月にも、さらに病気が回復した八月にもその現象は現れ、以降、断続的に起こるようになった。

※脳傷害か。

そしてついに建仁二(一二〇二)年、七十歳の時には、阿弥陀仏も目の当たりにしている。おそらく法然はこの三昧発得の体験によって、自らの教えに対する自信を深めたことであろう。『選択集』の末尾にもその一端が暗示されていると見ることができる。
 ただ、法然は終世、この体験を人には話さなかったらしい。おそらく、信者・帰依者の者が「結局は三昧発得しないと往生はできないのではないか」という思いを懐(いだ)いてしまうことを避けたかったのかもしれない。三昧発得するか否かは往生の可否とは無関係であるというのが、法然の立場であったのだから。

※信不退・行不退の話はどうなるのか。

p68
法然の主著『選択本願念仏集』を読む
林田康順

選択(せんちゃく)とは即ちこれ取捨の義なり。
……しかれば不清浄の行を捨てて、清浄の行を取るなり。
(『選択本願念仏集』第三章)

はじめに
『選択本願念仏集』(『選択集』)は、前(さき)の関白九条兼実の強い願いに応え、法然六六歳、建久九年(一一九八)三月に撰述されたもので、浄土宗では第一の聖典と位置づけている。
 法然は、前年からの病(瘧病(おこりやまい)──悪性の流行病──か)が長引き、新しい年を迎えても思わしくない状況にあった。そのため、法然をことのほか頼りにしていた兼実が、万が一のことも想定し生涯の座右の書にと、念仏の教えについての肝要を執筆してほしい旨を法然に請うた。法然自身も自らのすぐれぬ体調を念頭に執筆を決意したのであろう。

「選択」とは
 仏教にはさまざまな修行が説かれている。その中から阿弥陀仏自身が選び取り(選択)、阿弥陀仏自らが建立した極楽浄土に衆生が往生できるための行として定め、これを実践する者は必ず往生せしめると誓って(本願)、「南無阿弥陀仏……」と口に称える行(念仏)を衆生に示した。『選択本願念仏集』の名の由縁である。
 この書の中で法然は、念仏は単に阿弥陀仏ばかりでなく、釈尊、さらにはその他の諸仏もがこの念仏行を選び取って(選択)勧めていることを、『無量寿経』『観無量寿経』(観経)『阿弥陀経』の「浄土三部経」と、中国・唐時代の善導(六一三~六八一)をはじめとする祖師の著作から要文を抽出しつつ理論化・体系化し、自説を述べている。法然は、この「選択」という語をとくに大切に扱い、私たち人間の川の行為における取捨の意味には決して用いず、必ず仏の側からの行為を意味するものとして用いている。
p69
念仏は易きが故に一切に通ず。
諸行は難きが故に諸機に通ぜず。
しかれば即ち一切衆生をして
平等に往生せしめんがために、
難を捨て易を取りて、(阿弥陀仏は)本願としたまふか。
(『選択本願念仏集』第三章)

p70
それ速やかに生死を離れんと欲せば、
二種の勝法の中には、
しばらく聖道門をさしおきて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入らんと欲せば、正雑二行の中には、
しばらく諸の雑行をなげうって、
選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲せば正助二業の中には、
なお助業を傍にし、選んで正定を専らにすべし。
正定の業とは、即ちこれ仏名を称するなり。
名を称すれば、必ず生ずることを得。
仏の本願に依るが故なり。
(『選択本願念仏集』第十六章)

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