20140404京都市 醍醐寺ほか#旅

http://www.geocities.jp/sisekiguide/14/walk14.htm
(参考サイト)

*

2014.04.04 伊賀くもり
京都はくもり時々雨らしい。醍醐寺の桜見て周辺の史跡巡りしよう思っていたけど日延べかな。
posted at 06:29:14

やっぱ京都行こう。絶対雨とは限らないし、雨でも悪くないし。
posted at 07:46:55


京都行こう。
http://t.co/IgGNZM0qvJ
posted at 08:00:53

近鉄電車・大和八木~京都沿線の桜は見事に満開なう。
posted at 08:38:12

西大寺なう。ここで満席。平日でも流石の京都。
posted at 08:50:27

ああ、東寺が見える。まえ、茂貴と来たなあ。
posted at 09:19:15

場所: 醍醐寺
http://t.co/sPBDVGFf4A
posted at 10:14:15

■行程(約2時間)
醍醐駅下車~ ※AM10:00頃
①醍醐寺(三宝院)~
②一言寺(醍醐寺金剛王院)~
③平重衝の墓~
④日野法界寺~
六地蔵駅 ※AM12:00頃

(一)醍醐寺(三宝院)※秀吉花見宴
【所要時間】駅から10~15分。醍醐駅東。

【参考サイトより引用】山上山下に百万坪の境内を有する真言宗醍醐派総本山には、多くの国宝重文の建造物、仏像また古文書、経巻が現存ずる。 三宝院、庭園、五重塔そして四季の移ろいのみごとさは美辞麗句よりもまず足をはこびたい。

【所感】桜に間に合ってよかった。三宝院に600円払って門をくぐると、一本の巨大な「太閤枝垂れ桜」。満開で春風に吹かれて花吹雪の真っ最中。
 玄関上がってすぐの葵の間から、小ぶりだが見事な枝垂れ桜が一本見える。これも見惚れる。
 ところで入口に「撮影禁止」と大書されていたにもかかわらず、何人もの観光客が写真を撮ろうとする。係員のおばちゃんたちがひっきりなしに「写真は禁止です」。資本主義はすべてを金銭に換算する。防戦のためにおばちゃんは叫び、観光客は不満を漏らす。
 まあ、そんなシーンは見なかったことにしよう。
 太閤秀吉の夢の跡。
 露と置き 露と消えにし 天下人
 我が子のことを たのむたのむと。

醍醐寺































善願寺

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(二)一言寺(醍醐寺金剛王院)
【所要時間】三宝院から10~15分。三宝院南。

【参考サイトより引用】醍醐寺の塔頭(*1)「金剛王院」は、一つの願いなら叶えられるところから「一言寺」と呼ばれる。 保元、平治乱の主役の一人、信西入道の女「阿波内侍」が創建という。 また一言寺下の小道は,治承4年(1180) 平家打倒に立ち上がった源頼政が、利あらず南都へ落ちて行ったところから「頼政道」と地元ではいう。
(*1)たっ‐ちゅう【塔頭】
①禅宗で、大寺の高僧の死後、弟子がその徳を慕って墓の塔の頭(ほとり)に構えた寮舎。
②大寺院の敷地内にある小寺院や別坊。脇寺(わきでら)。

【所感】醍醐寺の適当な門を出て南へ歩く。だいたいこっちの方だろうと。細い道を歩いていてひょいと左を見ると一言寺。ということは、今歩いてきた道が頼政道か。彼の部下の猪早太の墓は名張市箕輪中村にある。

一言寺







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(三)平重衝の墓 ※平清盛の五男
【所要時間】一言寺から15~20分。一言寺南。法界寺北。石田駅東。

【参考サイトより引用】武勇を謳われた平清盛五男の重衝も、「一の谷の合戦」で捕らわれ、大和で処刑の身となる。醍醐を護送中、武士の情で妻北の方に会うことを許される。北の方が今生の別れに琴を吟じたという丘を「琴弾山」というそうな。

【所感】これまた偶然発見。頼政道を南へ。四つ角の南西に石碑発見。通り過ぎかけたがふと右(東)を見ると、団地内に小公園のような墓地。
 重衝(しげひら)は確か奈良の都を焼いちまったので(もちろん東大寺の大仏も)、奈良の坊さんたちにめちゃくちゃ恨まれていたんじゃなかったかな。最近読んだ本にも登場していた。奈良を焼いても、女性にはモテモテだったようだ。

『平家公達草紙』(東京国立博物館本)に、平重衝が「大炊御門(おおいのみかど)の前斎院御所(さきのさいいんのごしょ)へ、常に参りて遊びければ」とあり、寿永二年(一一八三)七月の平家都落ちの際には鎧姿で別れを告げに行き、恋人であった中将君(ちゅうじょうのきみ)と中納言君(ちゅうなごんのきみ)が悲しむという場面が書かれている。(『異端の皇女と女房歌人 田渕句美子』p36)

平重衡の墓




*

(四)日野法界寺 ※親鸞聖人誕生の地
【所要時間】平重衝の墓から10~15分。六地蔵駅東北東。

【参考サイトより引用】藤原北家の一門、日野氏の菩提寺も応仁の乱で大伽藍を焼失、薬師堂と国宝の阿弥陀堂がわずかに面影を残す。境内の一角には、誕生院があり、親鸞上人誕生の地とされている。

【所感】頼政道(?)を南へ南へ。日野小学校発見。門に近辺の地図あり。法界寺あり。笑
 本願寺の保育園が同じ敷地に。そうそう、途中見つけた景福寺の桜がとても美しかった。
 誕生院を出ると目の前がバス停。待っていたように扉を開けたバス。乗って六地蔵駅まで。10~15分(こればかり)。料金210円。笑

日野小学校



景福寺

親鸞聖人誕生の地(法界寺)





















京阪バス

*** 次回行きたい史跡 ***

(五)隋心院
【所要時間】小野駅東南東。

【参考サイトより引用】真言宗善通寺派大本山の小野隋心院 は、門跡寺院として歴代摂家の師弟が住持した。 小野小町ゆかりの寺として、「化粧の井戸」や多くの男性から寄せられた恋文を埋めたとされる「文塚」がある。

(六)勧修寺
【所要時間】小野駅西北西。

【参考サイトより引用】醍醐天皇の生母藤原胤子の本願により、外戚宮 地家の邸跡に伽藍を創建したもの。 一時荒廃したものの、徳川時代に復興門跡寺院として栄える。 書院は御所から移設した旧御殿といわれる。庭園氷室池のスイレンは有名。

(七)明智光秀終焉の地
【所要時間】醍醐駅~京阪バスに乗り、南小栗栖下車。 ほそみ医院の建つ交差点を西へ。
http://m.blogs.yahoo.co.jp/kanezane2/17466358.html

【参考サイトより引用】本能寺に主君織田信長を 討った光 秀は11 日の後, 羽柴秀吉と天下を賭けて天 王山に戦うが敗戦の憂き目に遭う。 光秀は近臣数名と坂本城を目指し落ちのびる途中,小栗栖村で地元民の襲撃を受けて絶命した。 最初に槍で腹部を刺された「明智藪」と,深手の光秀はコマを進めるが遂に落馬,家臣に介錯させ遺骸を埋めさせた場所「胴塚」にそれぞれ碑が立つ(前出URL内にリンク)。なお東山に「首塚」。
 胴塚(醍醐寺~小野駅の中間。京都市山科区)。
 首塚(東西線東山駅下車)。

*

コロンビア。 — at 長谷川珈琲館
http://t.co/CkrTpYpbBh
posted at 12:53:49

珈琲も飲んだ。本日の小旅行記も書いた。外は陽が照っている。少し寄り道しようか、などと思うのは今の私。昔なら迷わず寄り道。栄枯盛衰。笑 — at 長谷川珈琲館
http://t.co/Kg4Uy5iPqJ
posted at 14:46:45

JR六地蔵駅


さあ伊賀に帰ろう。仕事がある。
http://t.co/FgQvHjFZck
posted at 15:45:17

大和八木なう。 — at 大和八木駅
http://t.co/xmkWUkLACk
posted at 16:39:41

桔梗が丘の枝垂れ桜

30分だけ。珈琲と音楽と。ー 場所: D-Room
http://t.co/xfc0FFBoXm
posted at 17:28:41


夜桜 midnight in 名張市
http://t.co/60S7QtxWqb
posted at 2014.04.05 02:17

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