20130311 評伝ボッカッチョ(二)

評伝ボッカッチョ 中世と近代の葛藤
1994.7.31 初版第1刷発行
著者 アンリ・オヴェット
訳者 大久保昭男
発行所 ㈱新評論

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第4章 フィレンツェに戻る
Ⅰ『アメート』

p114
ボッカッチーノ(ボッカチオの父)とその息子(ボッカチオあるいはジョバンニ)の関係というのは、書き記すのに厄介な事柄である。当初、父親に過誤があったとすれば、家庭内で妻(ボッカチオにとっては継母)に過度の権限を与え、幼い庶子(ボッカチオ)を厄介払いするのを許したということだけであったろう。しかし、父親は、ナポリに遠ざけたこの息子がその意見にほとんど従わなかったにもかかわらず、その身の振りに心配をし続けた。後になっては、父と息子は仲良く暮らしたし、ボッカチオは父の思い出を常に敬愛の念で包み込んだ。したがって、父子の関係の唯一危機的な時期は、一三三九~四一年の間に限られる。この両三年は父ボッカッチーノの事業が傾き、息子のジョバンニ(ボッカチオ)にもかつかつの生活を余儀なくさせ、当人が極度に嫌ったにもかかわらず自分のもとへ呼び寄せなければならなかった時期である。それは、ジョバンニが、高貴で不幸な母、このような女性には相応しくない不実な男、卑劣な人物に誘惑され、後に捨てられた母の思い出を募らせ、復讐をしようと努めた時期でもある。ボッカチオは当時この女性を引き合いに出している。──彼はまさしくかの女性の子である。だから彼は、自分のあんなにも高貴な生まれを台無しにした、あの粗野な商人を父とした妬み深い運命を憎まずにはいられない。このさもしい人物はしかも彼の認知を拒んだ。自身の妻とした性悪女に唆されて、その人物は自分に似た姿を見てとることの出来なかったその子供を家から追い出したのではなかったのか? しかし、正義の神は、このペテン師、情愛を知らない男に、それに相応しい罰を加えた。今彼は破産し、孤独に泣いている。誰が彼を憐れむだろうか?──手厳しすぎるほどのこの一文は、生来激情的なボッカチオが、その表現を抑制することも出来なかった怒りの、思慮を欠いた突然の、しかし一時的な爆発ということによってしか説明できない。『アメート』と『フィローコロ』の最後の巻を除いては、ボッカチオの他の作品のどれの中にもこれに匹敵する表現はない。

P121
ボッカッチョがフィレンツェに移住を余儀なくされた当初から、この都市の醜聞を調べ回ることで自らの慰めとし、彼の詩作(アメート)をそれによって着色するといういささかよこしまな喜びを見出だしていたことをこの小冊子のおかげで知るというのは、今なおひじょうに興味深いことである。

P122
『アメート』が書かれたのは、フィアンメッタを賞賛するためでも、祝うためでも、哀訴するためでもないということである。おそらく作者は、彼女への思いを断ち切ることが出来ないのである。美徳をまとった彼女は希望の象徴であり、ボッカッチョは露わな自己満足をもって、いかにして彼女の愛をつかんだかを語るのである。(略)彼女は、作者が大切に胸に抱く、親愛な思い出として描かれる。しかし、彼女はすでに過去に属する女性であり、ボッカッチョの生活に君臨し続けているとは見えない。したがって、おそらくエミーリアは、平穏で慎ましい情愛を彼の胸に呼び起こして(略)傷ついた彼の心を蘇生させた最初の女性なのであろう。

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Ⅱ『フィローコロ』完成
P125
ボッカッチョはダンテから僅かながら借用を行っている。それは第五巻の中に明らかに見てとることが出来る。ただし、その当時までボッカッチョはとりわけ『新生』を模していて、相応の長さの挿話を『神曲』に求めたことはまだ一度もなかった。

P127
各自が代るがわるに、何かの質問、問題(略)などを提起する。女王(フィアンメッタ)がそれへの解答を提示する。問題提起者は反対の命題を主張する。その後で、女王が最終的な判断を示す。これが全部で十三の”愛の問題”について行われる。十四人の対話者の一人である女王は判定を行うことだけを専らとするからである。
それらの問題の中で、いくつかはきわめて一般的なテーマである。”恋は善か悪か?”(Ⅶ)、”それぞれ資質の異なる求愛者三人の中で、女性は勇敢さと好奇心と学識のどれを選ぶべきか?”(Ⅲ)、”共に愛されるに相応しい二人の女性の中で、男性は生まれと富が自分よりも上位の女性を、あるいは下位の女性を選ぶべきか?”(Ⅷ)、”望ましいのは、若い娘か、未亡人か、あるいは有夫の女性か?”(Ⅸ)。
他の問題はもっと微妙で奇妙である。”一人の若い女性が髪に差していた花の枝を一人の求愛者に与えておいて、別の求愛者もって来た花で身を飾る。どちらの求愛者が彼女からより大きい愛のしるしを受けるべきか?”(Ⅰ)、”報いられない求愛者と、報いられはしたが嫉妬に苦しむことになる求愛者のどちらにより同情すべきか?”(Ⅴ)、”同じ男性を愛する二人の女性が、自分たちのどちらかを選べと男性に迫る。二人は男性を抱擁しようとしてその方へ駆け寄る。一人は実際に彼を抱擁するが、もう一人は羞じらいからそれを控える。どちらが好もしい態度か?”(Ⅵ)。

P128
いかなる苦しみも嫉妬以上のものではない

P128
しかし、この一篇の興味はとりわけ文学的なものである。その場限りの女王に主催されるそれらガラントな集いの中に、『アメート』の中でよりもはっきりと、『デカメロン』の最初の下書きが見てとれる。

P129
最後に、二つのケース(質問ⅣとⅩⅢ)では、『フィローコロ』の作中人物たちが、『デカメロン』の中で、僅かに変更されただけの形で再度見られることになる長い話を物語る。
ある貞節な婦人が、愛人に取り入る前に、真冬に花が咲くのを見たいと要求したという庭園の話は、約束を守ることを軽率な妻に許した夫の礼節と、かくも立派な寛大さを利用することを敢えてしなかった愛人の礼節とを明るみに出している(『デカメロン』Ⅹ・5〔第十日、第五話〕。
生き埋めに

P133
ドルチェ・スティル・ヌオーヴォ”甘美な新文体”

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Ⅲ『愛の幻影』
P134
ボッカッチョが『アメート』と『フィローコロ』の完成後に精力を傾けた詩は、疑いもなく『愛の幻影』である。

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第5章 『フィアンメッタ』と『フィエーゾレの妖精』

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第二部 壮年期
第1章 一三四五年から一三五一年のボッカッチョの生活
第2章 『デカメロン』
この作品の創作と原資料
第3章 『デカメロン』(続)
短編(ノヴェッラ)の内容
第4章 ボッカッチョの思想の新たな傾向

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第三部 晩年期
第1章 フィレンツェから、ナポリ、ヴェネツィア、そしてチェルタルドへ
(一三六一年~一三六四年)
第2章 ラテン語の著作
第3章 最晩年
(一三六五年~一三七五年)

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「訳者あとがき」に代えて

P445
ジョヴァンニ・ボッカッチョ(Giovanni Boccaccio, 1313-1375)は、ルネサンス初期のイタリア作家であり、近代的短編小説の鼻祖とされる存在である。『神曲』のダンテが、ボッカッチョよりも半世紀ほど先に生まれて、十三世紀の社会と文化を反映していたとすれば、ボッカッチョはペトラルカと並んで、輝かしいトレチェント(十四世紀)の文人である。ダンテの『神曲』が中世末期における人間社会の精神的形式の表現であり、精神的生活の記録であるのに対して、ボッカッチョの『デカメロン』は、ルネサンス期の人々のまさに人間的な生活の記録であるということが出来よう。前者に、神、美、詩、哲学があれば、後者には、生命、肉体、物質、そして何よりも、自由な人間がある。
P446

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