20111006近代ヨーロッパへの道 #今日の本

近代ヨーロッパへの道
成瀬治
2011/4/11
講談社学術文庫

*

王朝間の抗争は激しさを増し(略)開かれゆく新大陸とアジアの海外市場への関心は、ヨーロッパの権力闘争に、複雑さと奥行きを加えた。
(近代ヨーロッパへの道:P234)

そこで、十六世紀から十七世紀初め頃、スペインやイタリアのカトリック的法学者の間で、従来の国際慣行、ローマの万民法、あるいはキリスト教倫理、自然法などに基づいて、「国際法」の原理を打ち立てようとする動きが見られた。
(近代ヨーロッパへの道:P234)

「国際法の父」と呼ばれるフゴー・グロティウス(一五八三~一六四五)の思想は、そうした努力の集大成とも見るべきものである。が、彼が当時の世界商業の中心オランダに生まれ育ったことは決して偶然ではない。
(近代ヨーロッパへの道:P234)

当時のオランダでは、厳格派のカルヴァン主義神学と、自由派のそれとの間に激しい論争があり(略)グロティウスは自由派の立場をとったため、一六一九年には投獄の憂き目にあった。獄中でも寛容思想を曲げなかった彼は、一六二一年に脱獄してフランスに逃れた。
(近代ヨーロッパへの道:P235)

国際法の古典『戦争と平和の法』(一六二五年)を彼が書いたのは亡命先のパリにおいて。この本は、彼の庇護者・ルイ十三世に献呈されている。だが、同書の価値も直ちには世に認められず、グロティウスはしばらくドイツなどを放浪して不遇の身を囲っていたが…
(近代ヨーロッパへの道:P235)

いち早くこの大作の意義に注目した(スウェーデン王)グスタフ・アドルフの遺志で、一六三四年、スウェーデン政府は彼をパリ駐在大使に任命した。フランスの支援のもとでデンマークやポーランドと戦いつつ、バルト海域に勢力を拡大していたスウェーデンは、国際法に重大な関心を抱いていた。
(近代ヨーロッパへの道:P235)

晩年のグロティウスは、歴史や文学を広く研究するかたわら、終生の念願であるキリスト教界の再統合のために、多くの神学的な著述も行ったが、ドイツに「宗教平和」を実現するウェストファリア条約(一六四八年)の締結を見ずして世を去った。
(近代ヨーロッパへの道:P235)

三十年戦争が始まったばかりの頃、一六一九年の晩秋、南ドイツのノイブルクに冬営する旧教軍の中に、二十そこそこの青白い顔の青年がいた。彼はイエズス会の学院を出た後、パリに出て数学を学んだが、数学だけではあきたらず…
(近代ヨーロッパへの道:P236)

合理的な思考方法を押し広げて、すべての確実な知識の基礎を見出そうという野心に燃えていた。そして十一月十日の夜、瞑想のうちに、この基本原理を発見したと信じた。彼はフランス人で、その名をルネ・デカルト(一五九六~一六五〇)といった。
(近代ヨーロッパへの道:P236)

デカルトのように一つの原理から、さまざまの個別的な真理を導き出す方法を「演繹法」という。これに対し、個々の具体的な事実から法則を引き出すやり方は「帰納法」と呼ばれる。
(近代ヨーロッパへの道:P238)

これを説き、近代科学の方法を哲学的に基礎づけたのは、イギリスのフランシス・ベーコン(一五六一~一六二六)だった。ベーコンは哲学者であるのみならず、腕利きの政治家でもあった。
(近代ヨーロッパへの道:P238)

一六一三年には検事総長、一八年には大法官となって、まさに位人臣をきわめた。(略)彼の政敵が汚職でベーコンを告発した。大法官裁判所の長官の地位を利用して、多額の賄賂を受けとっていたというのである。
(近代ヨーロッパへの道:P239)

デカルトやベーコンとほぼ同じ時代に、イタリアではガリレオ・ガリレイが「地動説」を擁護して大きなセンセーションを起こした。すでに十六世紀の前半、ドイツ人のコペルニクスは…
(近代ヨーロッパへの道:P239)

地球の自転を説くピタゴラス派の研究に基づいて『天球回転論』を著したが、これは数理的な基礎に立つものであった。地球を宇宙の中心にすえるプトレマイオスの天動説は、中世以来、カトリック教会の公認の学説である。
(近代ヨーロッパへの道:P239)

(略)教会当局は拷問の威嚇でこの異端説の放棄を強制し、フィレンツェ郊外の住居に彼を軟禁した。
肉体は疲れ果て、失明の悲運にみまわれながら、老年のガリレイは不朽の名著『新科学対話』を著し、一六三八年、オランダのライデンで刊行した。
(近代ヨーロッパへの道:P240)

ガリレイの学問的資産は、オランダのホイヘンスによる光学、ドイツの哲学者ライプニッツによる微積分学などを通じて発展。ついに、ニュートンの『プリンキピア』(一六八七年)において、近代ヨーロッパの自然科学はその理論体系を獲得する。十七世紀は「科学革命」の時代だった。
(近代ヨーロッパへの道:P240)

ヤコブ・ベーメ(一五七五~一六二四)神秘主義思想。一種の汎神論。精神界も外なる世界も、天国も地獄も、すべては神の中にある。
ドイツでルター派内部の「敬虔主義」に取り入れられ、後のロマン派や観念論哲学にも影響。ドイツで、シュッツから大バッハにいたる、バロックの教会音楽が発達した頃。
(近代ヨーロッパへの道:P241)

ケプラー(一五七一~一六三〇)プラハの天文台の観察により「惑星の三法則」で地動説を数理的に完成。「宇宙の調和」の観念や心霊主義的な世界観を終生抱いた。
(近代ヨーロッパへの道:P242)

ライプニッツ(一六四六~一七一六)近世ドイツ哲学の祖。デカルト合理主義継承。その「単子(モナド)論」は「宇宙の調和」の観念に基づく。この思想を神学に適用した「弁神論」は、終生カトリックとプロテスタントの再統一に努力した外交官ライプニッツの実践活動を支えた。
(近代ヨーロッパへの道:P242)

パスカル(一六二三~六二)『瞑想録』早熟な天才。数学・力学の業績の後、一六五四年、社交界を捨て、パリ近郊のポール・ロワイヤル修道院にこもり、厳しい禁欲の生涯。オランダの神学者ヤンセンに由来するジャンセニズムの影響。アウグスチヌスの神学をふまえ、神の恩寵を強調。人間の自由意志に力点をおくイエズス会と激しく対立。ポール・ロワイヤルの人々はその信仰を守り通した。
(近代ヨーロッパへの道:P243)

パスカルの思想は「不安の哲学」とされる。
宗教改革の時代は、同時に魔女の時代でもあった。ゲーテのライフワークのモデル「ファウスト博士」は、ルターとほぼ同時代のドイツに実在した医師・錬金術師・占星家であった。
(近代ヨーロッパへの道:P244)

彼にまつわる伝説『ファウスト博士の物語』が一五八七年にフランクフルトで出版されると、たちまち英訳本がイギリスに流布し、エリザベス朝の著名な劇作家マーロウは、これをすぐれた文学にまで高めた。
(近代ヨーロッパへの道:P244)

「黒死病」の大流行した十四、五世紀以降、魔女は悪魔の手先として嫌われる。そして宗教改革・戦争の中で、人間に対する全般的な疑心暗鬼は、こうした迷信に火をつけた。何万あるいは何十万と見積もられる「魔女」が…
(近代ヨーロッパへの道:P245)

苛酷な裁判の結果、火あぶりの刑に処せられた。それは政治・社会の激しい動きと、伝統的な価値観の動揺によって、人生に何一つ確かなものがなくなってしまった時代の産物、まさに「時代の病」だった。
(近代ヨーロッパへの道:P245)

苦悩と不安の渦巻く十七世紀のヨーロッパで、安定した生活秩序が市民の政治的共同体に実現されることを求めた、二人の思想家を忘れるわけにいかない。オランダのユダヤ人哲学者スピノザ(一六三二~七七)と近代的政治思想の古典『リヴァイアサン』の著者ホッブズ(一五八八~一六七九)だ。
(近代ヨーロッパへの道:P245)

スピノザはデカルト哲学などを研究するうちユダヤ教から離れ、破門。オランダ各地を転々として著作する。危険な無神論者として激しい非難攻撃を受け「死んだ犬」のように冷遇された。肺患のため、四十四歳、ハーグで死んだ。
(近代ヨーロッパへの道:P246)

スピノザの問題は、人間の幸福は何であり、いかにしてそれが得られるか、というだった。(略)「神への知的な愛」のうちに神と人とが融合する境地こそが、人間の最高の幸福だ、と彼は説いた。
(近代ヨーロッパへの道:P246)

国教会の牧師を父として生まれたホッブズは、オクスフォード大学を出て後、ある貴族の息子の家庭教師となってヨーロッパに渡り、ガリレイやデカルトの新しい学問を吸収した。
(近代ヨーロッパへの道:P247)

ホッブズが主著『リヴァイアサン』を書いたのは、祖国イギリスではなく、亡命先の大陸でのことだった。一六四〇年頃から議会と国王との対立が尖鋭化すると王権の擁護者とみなされた彼は身の安全を脅かされるようになったのである。
(近代ヨーロッパへの道:P247)

彼の国家学説は、スピノザと同様、人間の原初の自然状態から説き起こし、弱肉強食の無秩序から逃れるため、人々が社会契約によって絶対的な主権者の命令=法律に服従する事の中に、生命と財産の保障を見出す過程を描いている。
(近代ヨーロッパへの道:P247)

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