20110828円朝ざんまい #今日の本


0828
 円朝は鉄舟より二、三歳若い。円朝が鉄舟をたずねますと、近所の子らに桃太郎の話をしてやってくれ、という。円朝は名をなした噺家ですが、腕によりをかけて桃太郎をやる。鉄舟はいった。『お前の話はうまい。うまいが舌で語るから話が死んでおる』円朝は悔しがって、鉄舟について禅を学び、ある日『今日の話は生きておるぞ』といわれて喜んだ。
 役者は体をなくして名人となる。噺家は舌をなくして名人という。円朝は鉄舟に『無舌居士』と号をつけてもらった。
(円朝ざんまい:P6)

閹王に 舌を抜かれて それからは
心のままに うそも言わるる♪
(円朝ざんまい:P7)

*
0829
三遊亭円朝は天保十年(一八三九)に生まれ、明治維新(一八六八)を数え三十で折り返し、明治三十三年(一九〇〇)に六十二歳でなくなった。円朝は明治の目をむくようなテンポの開化をどう見ただろうか。
(円朝ざんまい:P21)

上野戦争の前夜、円朝は日本橋の伊勢本で真を打つはずだった。(略)戦争前夜に寄席をやってたとは、六〇年安保で反対派が国会を取り巻いていた最中も、後楽園球場で巨人戦をやっていたようなものかもしれない。
(円朝ざんまい:P22)

電話は電信に遅れて明治十年(一八七七)、すなわちグラハム・ベルが電話を発明した翌年、輸入され、工部省がさっそくマネして作った。二十二年、東京ー熱海間に公衆電話が開通、二十九年には四千人が加入している。
(円朝ざんまい:P32)
西南戦争で西郷隆盛さんが亡くなった年だねえ。

(落語)「世辞屋」のテーマは蓄音機。これが日本に紹介されたのは明治十一年七月、「同人社文学雑誌」では「蘇言機(そげんき)」と訳されている。明治十九年、米国駐在の外交官陸奥宗光が、帰朝のさい蝋管記音(ろうかんレコード)を持ち帰ったという。
(円朝ざんまい:P32)

蓄音機は明治三十年代、多く輸入され、これに数本のゴム管を取り付け、縁日などで金を取り、耳にあてて聞かせた。
それで交際流行の世、「種々(それぞれ)の世辞を蓄えて置いて之を売ったら、さぞ繁盛するであろう」と新商売を思いつく。
(円朝ざんまい:P33)
三十年代は日清戦争後。日露戦争が明治三十七年。

(指物師の)長二の口癖は「何でも不器用に造るがいい」というのである。見かけが器用に見えたものに長持ちするものはない。長持ちしない物は道具にならないから、うわべは不細工に見えても、十万年の後までも壊れないように拵えなけりゃ本当の職人ではないというのである。「不器用にやるがいい」。
(円朝ざんまい:P38)

是は指物ばかりではない、絵でも彫物でも芸人でも同じ事で、銭を取りたいという野卑な根性や、人に褒められたいというおべっかがあっては美い事は出来ないから、そんな了見をうっちゃって、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度美い物が出来上るから。
(円朝ざんまい:P39)

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